昔から旅行好きだった私が本格的にバックパッキング、それも海外でバックパッキングに行くようになったのは仕事でカンボジアに派遣されてからかな。結構長期間の派遣だったの、ホテルでなくサービスアパートメントを借りて、自炊もできるような生活を始めてから。
地方出張とかも多く、出張自体は勤務先が用意した車で移動するのだが、ホテルは現地スタッフと同じところが安いし、食事も現地スタッフと一緒にローカルレストランに行くことが多くて。最初は現地スタッフも気を使って、日本食レストランに行こうとかピザを食べに行こうとか言ってくれてたんだが、ローカルレストランに行った時より明らかに食が細るんで、聞いてみたらやっぱり地元料理の方がいいみたいでね。
私は食べるために生まれてきたようなもので、ローカルでもそうそう当たることはないんで、いつのまにかローカルレストラン、屋台、出店でテイクアウトなどなど。やはり東南アジア系は屋台文化なので、自炊の方がお金かかったりするし。
いい食材はプノンペンの我らがイオンモールで購入。ただ、野菜はオルセーとかサトマイ(セントラルマーケット)とかオールドマーケットが新鮮で安いのでこっちもよく利用した。肉はちょっと手が出せなかったけど、エビとか魚は買ってた。あるときなんか、トマト食べたいなぁと思って、オールドマーケットのおばあちゃんの露店で買おうと思ったら、英語は当然通じず・・・ま、2~3個あればいいやって感じで、1ドル分ってドル紙幣渡したら、袋一杯くれて・・・たぶん1㎏で1ドルだったみたいでしばらくトマトには困らなかったこともあるが。
仕事で地方に行ったときに現地スタッフが用事があったりして別行動でプノンペンに帰ったりするんだが、よくバスを使ってし、書類をプノンペンに急遽送るときなどもバス会社に行って、バスが宅急便みたいな役割も果たしているし、で、値段も安いし、これは使えるなぁなんて思ってた。
それに、国境を超えるバスもあるみたいだし、仕事の時はVISAの関係で出国できなかったが、きっと戻ってこようと思いを抱いた場所でした。
そして、カンボジアは平均年齢が25歳くらい(2018年)と若い国で、そこにはベトナム戦争とポルポトによるジェノサイドが影響していました。ジェノサイドの事実は知っていたのですが、そのことについて現地で触れ、また、日本が復興にどのようにかかわったかなどの話も知り、なおさらカンボジアへの思いが強くなり、今でも旅の拠点はプノンペンを中心に考えています。訪れるたびに、虐殺の現場となったプノンペン郊外、チュンエクのキリングフィールドに花を手向けに行っています。機会があれば記事にしようかと思ってますが、今回はカンボジア・プノンペンへの思いということで。
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